前回の続きから。
1350年、黒死病(ペスト)で当時400万人ほどいたイギリスの人口で3分の1ほどが亡くなってしまう。
当時の牧師によれば、ラテン語で
最初のペスト患者は1350年の前年に出た。…1350年は無慈悲な、荒涼たる、暴虐の年で、そのことを語るのはほんのひとにぎりの住人だけだとも残された。
亡くなった方のうちでは、当時支配階級だった聖職者も多く、この時期から農民による一揆、教育現場での「反乱」など、「ラテン語を喋れる者だからこその権威」に楯突く者たちの行動があちこちで起きるようになる。
1399年には、当時の王が退位講演に英語を使ったことが象徴的とされる。
そんな中、オックスフォードで学んでいたウィクリフは、哲学/神学の権威となるが、「自分の知識は人々に知らしめるべき」との信念から、当時ラテン語のみで書かれていた聖書の英語への翻訳を始める。
(その4につづく)
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