2012年5月26日

「英語の冒険」〜その4〜 ウィクリフによる翻訳

当時、「ベストセラー」だった聖書はラテン語のみで書かれていた。
最初教会はウィクリフを避難しただけだったが、ウィクリフが聖書を英語に訳したことにより、
「俗界の男女の教育に使えるようになってしまった。こうして聖職者の宝石ともいうべきものが俗人たちの慰みのものになってしまい、真珠のごとき福音書が地面にまき散らされて豚に踏みつけられることになった」(同書p139より)
ということで、
母国語を通じて神を民衆のもとに連れ戻そうとした。(同書p139より)
しかし、結局、ウィクリフたちの努力空しく、
彼は教会の権力に立ち向かい、敗れた。聖書は禁書とされた。教会は、壮大な大聖堂から小さな教区の教会にいたるまで、依然としてラテン語が支配していた。(同書p140より)
ウィクリフの努力と時を同じくして文学者チョーサーは『カンタベリー物語』を英語で記し、一方で1381年に(ペストの大流行による社会不安による)農民一揆では英語で権力側への抗議を行うほどになっていた。

また、ウィクリフの努力により、禁書になった英語による聖書も巷では筆写されて人々のモノとされていき、次第にイギリスの地に英語が浸透していった。業を煮やした教会側は、
1412年、ウィクリフの死から28年経って、カンタベリーの大司教はウィクリフの全著作を焚書するように命じた。(同書p143)
非常に切羽詰まった感じを受けないだろうか。これ以外にもウィクリフが公会議の場で異端児とみなされるなどしたが、丁度この頃、活版印刷が発明され、英語が国家の言葉へと発展を遂げる際の礎となっていくこととなる。


(その5につづく)